ご訪問ありがとうございますっ
anさんですっ

先日
高校の同級生のお父さんが
亡くなったと知り
友達とやり取りをしていて。

anさんの父は
13年前に亡くなったんだけど
その時のことを
いつかブログに記録として
残したいなって思っていたので
この機会に書いてみることにしました。

本題に入る前に
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では始めます


友達の親の訃報。
出てくる年になりましたね。

それにしても
anさんの父の死は
早かったし突然でした。

といっても68歳でしたから
早すぎるってこともないんだけどね。

父は44歳の時にがんで
胃を全摘。
周りの臓器にも転移していたため
肝臓、すい臓なども一部切除手術を受けました。
anさんは小学2年生でした。

ある日の夜
突然庭で血を吐いて
救急車に自分で乗っていったのを
心細くおばあちゃんと見送ったことだけは
覚えています。
ばあちゃんが
「だいじょうぶだからね~
お父さん、まじめに病院行かなかったらから。
でももう大丈夫だからね~」と
ずっと肩を抱いてくれてた。

その手術の
すい臓の切除した場所の問題で
糖尿病になり
退院してすぐに
脇腹にインスリンの注射を
毎食前に打つ生活が始まります。

出世街道まっしぐらで
家庭を顧みない
絵にかいたような団塊世代の父。
仕事人間だったのに
それまでと同じような仕事はできないので
毎日イライラしていました。
胃も全くない状態なので
食べては吐いての日々が半年くらい続いたかな。
泣いてる父も何度も見ました。

幼いanさんは
病気がわかる前は
父が帰ってきたら
玄関でビール瓶と栓抜きを持って
出迎えていました。
「お父さん、今日は飲むの~?」と。
「飲まない」なんていうわけないよね~。

だから自分のせいで
お父さんは病気になったんだと
自分を責めたこともありました。

その時から24年。
入退院を繰り返しながら
もうだめかと思うようなことが何度もありましたが
68歳までがんばってくれました。

晩年は
体調がよくなったときもあって
ゴルフや農作業にいそしむ時代もあり
でも亡くなる1年前くらいからは
インスリン注射をしている
糖尿病患者が気を付けなければならない
低血糖発作が頻繁になり悩まされました。
車の運転もそろそろやめないとね・・・なんて話も。

父が亡くなる2週間前
次女の幼稚園の入園式がありました。
実家に近かったので
帰りに寄って母が不在だったので
こたつで寝ていた父を起こし
(なかなか起き上がらないし
変な時間に寝てるな?とは思ったんだよね)
庭で写真を撮ってもらいました。

立膝で写真を撮って
普通の態勢に戻るのも
ずいぶん時間がかかっていました。
今思えば
相当体調が悪かったんだな~と。
その時の写真です。
P1210119


そして亡くなる1週間前のある日
anさんの夫も参加する
ゴルフコンペのことで
父から電話がかかってきて
なんてことのない
用件だけの電話だったんだけど
結果的にそれが最後の会話になりました。

何を話したか
最後の父の言葉が何だったのか
全く思い出せないのが
すごく心残りです。

そして悲しいけど
その日がやってきます。

その日、長女の友達母子が
遊びに来てくれる予定になっていて
朝からパンの生地をこねて
一次発酵をしている途中で
兄から電話がありました。

「親父が死んじゃった。」

兄も泣いていました。

もちろん
大病を患っていたし
糖尿病の合併症がいくつも出ていたから
いつかはこんな日が来るとわかっていたけど
anさんにとっても
母にとっても
兄弟にとっても
それは突然のことでした。

だって前の日まで
普通に過ごして
いつもよりだいぶ酔っ払っているということは
兄の奥さんから聞いていたけど
そのまま床について
そのまま逝ってしまうなんて。

兄からその言葉を聞いた時に
足元には
5歳の長女と
3歳の次女が心配そうに
張り付いていました。

生きてきてあんな声で泣いたことはないというくらい
叫んで叫んで泣き崩れて。
こんな姿を見せられないと思ったのか
娘たちから
離れよう離れようと
部屋をぐるぐると回っていたのを覚えています。
娘たちは
絶対そばを離れようとしませんでした。

「じいちゃんが死んじゃった」と
娘たちに伝えると
長女が
「ママ、しっかりしないとね!
ばあちゃんが一人になっちゃうから
みんなでばあちゃんとこ
行こうね!ね!」って
anさんをずっと抱きしめてくれてました。

長女が着ていた服に
マスカラがべったりくっついてしまったこと
長女は今でもはっきり覚えているの。
そういうときって
変なこと覚えてるもんだよね。

ちょっと正気に戻って
夫に電話。
とにかく行ってやれと。
義実家に電話して
来てもらって子どもたちを見てもらいなと。
その間に自分も帰るからと。

夫の父と母はすぐに来てくれて
anさんはタクシーで実家へ。
(この時、義母は
一次発酵しか終わってないパン生地を
どうにかしないとと思ってくれたらしく
トースターで全部焼いてくれてたの。
もちろん、膨らまないし食べれるものではなかったけど
なんとも義母さんらしいエピソード。笑)

父はすでに
一度は搬送された病院から戻り
葬祭場の方がきれいに
してくれてました。

父は幸せだったんだろうか。

父はすごくかっこつけで
娘の初節句や
入学祝
新築祝いなど
いつもビシッとスーツで来てくれるような人で。
当時はわからなかったけど
今思えば
結構おしゃれだったな~と思います。

anさんが高校を卒業してから
神奈川に住んでいた
5年間は
父が月に1回ほど
東京の病院に通っていたので
ついでに一緒にご飯食べたりしてました。
駅まで送っていくと
一度乗りかけた電車から出てきて
お札をさっと渡して
何も言わずにまた電車に乗っていく姿とか
父の寡黙だけど
時にすごく甘やかしてくれるところが
当時は「ラッキー♪」としか
思わなかったけど
今はほんと、かっこいい父だったなって思います。

父は通院時に
上野だったかで
寄席を見るのを楽しみにしていて。
一度くらい一緒に行けばよかったなって
それも心残りです。

父の遺品を
いろいろと見ていたら
ゴルフバッグの中に
兄やanさんの夫と一緒に行く予定だった
コンペの用意がちゃんとしてあって
楽しみにしていたんだな~と。
「何日前から用意してんだよ~」
「なんで死んじゃうんだよ~」
とまたみんなで泣きました。
その中に入っていたゴルフウェアも
棺に一緒に入れました。

最後はあっけなかったけど
寝たきりになるとかでなく
たった一人で
何も言わず逝っちゃうなんて
かっこつけの父らしいなと
自分を納得させるしかなかったけど

2011年
あの大震災があったときに
父が亡くなった後でよかったと
心底思いました。
あんな辛い思いを父はしなくて済んだんだものね。

こうして少しずつ気持ちを整理してきました。

親を亡くす気持ちは
経験したからこそわかるし
今どんな気持ちか
友達の気持ちも
痛いほどわかります。

年末年始
東京に嫁いだ友達も
帰省するそうなので
お線香をあげに行って来ようと思います。

個人的な記録に
長々とお付き合いくださって
ありがとうございます
1514029316912

ではでは
今日はここまでにします。

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