ご訪問ありがとうございます。

ああ
来ちゃったな。
311。

何を書こうかな。
昨年の311の記事です。
長いですけどよかったら

あれから5年
昨日、読み返していました。
コメントも全部読み返していたんです。
こういう内容にコメントするって
言葉を残すって
結構勇気がいると思うんです。
本当にありがとうございました。

今朝からアクセス数が
いつもより上がっているんです。
もしかしたら
今日、anさんのこと思い出して
のぞきに来てくれたのかな?
だとしたらありがとう。
感謝です。
はやくブログ書かなくちゃって
思ってるんだけど
なんていうかうまくまとまらなくて。
文章を書くことというのは
最後、なんとか結ばないとまとまらない気がして
いつも無理にうまくまとめようとするところがあるのが
自分としてあまり好きじゃなくて
だから無理にまとめようとせず
ありのまま
思ったまま書こうと思います。

今までは
震災や原発事故への
自分の見解など
気持ちのことを書くことが多かったのですが
今年は
地震が起きて
原発事故があって
自宅から車で避難するまでの
数日間のことを書こうかと思います。

2011年3月11日。
地震が起きて
当時小5、小3、年小だった娘たちを
迎えに行って自宅に戻ったのが夕方。
電気も水もガスもその時は問題なし。
危機感はあまり持っていませんでした。
命も家も無事だった・・・
それだけで十分だと。
自宅の電話や携帯電話が繋がらなくて
夫や実家の無事がわからなかったのが
少し不安なくらいで
でもきっと大丈夫と。

でも帰宅してテレビをつけて絶句。
車で15分ほどの距離にある海岸に
津波が来てて
甚大な被害が出ていると。
全国ニュースで近所の海の
それも変わり果てた姿が映ってる。
そして夫の会社の近くの工場が火災事故。
一気に恐怖が襲ってきた。
夫は大丈夫?大丈夫だよね。
道路は混乱していたし
私たちも通常10分で帰れるところを
1時間近くかかったと思う。

夫は会社の前の道路が渋滞してて
車で帰ることを断念。
1時間半かけて歩いて帰ってきた。
リビングの窓からひょこっと顔を出して
帰ってきたときはまるでヒーローが戻ってきたかのような
盛り上がりの娘たちでした。

その夜か次の日の昼頃だったか
蛇口から出る水の量が細くなってきたのに気づく。
今のように給水ボトルなどは常備していなかったので
家にある鍋やバケツに水を汲んでおき
それでも不安だったので
衣装ケースを空にして
お風呂場に置いて水を満タンに入れておいた。

これでは電気もガスも
これからずっと使えるのかわからない。
ご飯を炊いておこう。
家にあるお米を全部炊いて
塩おにぎりにしておいた。
冷凍しておいた野菜や肉など
すべて入れてカレーを作れるだけ作り
少しづつ食べました。
冷凍庫に少しずつ残っていた
牛肉の薄切り、鶏肉、豚肉など
野菜は大豆の水煮や大根の皮など
カレーの具としては普段は使わないものも
なんでも入れたカレーは
皮肉にも今まで食べたカレーの中で
一番よくできてしまった。
本当に美味しかった。

水をなるべく使わないように
お皿にラップを敷いて
カレーを食べました。

夜はリビングに布団を敷いて
みんなで並んで寝ました。

12日はお風呂に入ったのかな。
どうだったろうか。
日記をつけておけばよかったな。

13日の昼は
娘たちを義両親に預けて
実家近くの小学校に来てくれる給水車が来るのを待ち
人の列に並びました。
私たちの前で水がなくなり
また長い時間待つようなことも。
実家の分も汲み
その日は水汲みと買い出しで一日が終わりました。
スーパーではもうほとんど何も売ってなくて
カップラーメンや缶詰、トイレットペーパー
ティッシュなどはいち早くなくなっていました。
一足遅れてしまったどんくさい私は
残り物のお菓子をたくさん買い込んでいました。
いつもいらんものを買いだめしてるくせに
あの時はちょうど食材を切らしていて
冷蔵庫にはソーセージと卵、ヤクルトくらいか入ってなかったと思います。

一日家で過ごしていた娘たちも
そんなにおなかは空かなかったようで
鍋いっぱいのカレーで十分乗り切れましたが
飽きてきたので
13日の夜は夫がソーセージを焼いてくれました。
今でも娘たちが
「あの時のソーセージ美味しかったね!」って言います。

その日の夜
避難することに決めて
自宅を出ました。
すでに水素爆発していたので
夫は外に出たときに着た服を脱いでから
車に乗り込みました。
車に乗り込む前はというと
家の中の通気口にガムテープを貼っていました。
避難から戻ってきて
家の中の放射線量を測ったときに
思うほど高くなかったのは
通気口を塞いで出て行ったからなのだと思います。
夫はあの混乱の中で
正しい選択をたくさんしてるんです。
本当に心から尊敬してます。
家族を守るために
最大限に頭を働かせたんだと思います。

それから
1年間は自主避難生活に入るわけです。
その間夫は秋田に短期出張してたりと
めまぐるしかったな。




ここからは災害備蓄について。
私のわかる範囲でメモします。
いろんなことを想定して
備えるといいと思います。
うちの場合は自宅が無事だったので
避難所にはお世話になることはなかったのですが
避難所生活になると
お風呂に入れないことが
予想できるので
海のそばに住んでいる方
活断層の上やそばに
家が建っている方などは避難所での
生活が続くかも?
下着類を多めに準備するとか
生理用ナプキンなども。
ナプキンやパンティーライナーは
下着の替えがなくなったときにも役に立ちます。

食事は
ガスが止まった場合
電気が使えなくなった場合
どちらも想定して。
避難所で使えるかどうかは
わからないけど
カセットコンロは絶対あったほうがいいです。
おにぎりや缶詰でおなかを満たすことはできますが
温かい食事がとれるかどうかは
かなりの差があります。
缶詰も少し温めればもっとおいしくいただけるし
汁物も作れるといいと思います。

被災時期が冬なのか
夏なのかでもだいぶ違います。
電気が止まっても暖がとれるように
石油ストーブは一台あってもいいと思います。

年に2回は災害用バッグの中身のチェックを。
夏用、冬用の衣服の交換を。
子どもの服のサイズもちょうどいいものに変えて。

非常食の賞味期限もチェック。
今回チェックしたら
ちょっと切れてました・・・
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お湯や水を入れるだけで
美味しくいただけます。


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期限は切れてたけど
食べてみることにしました。
スプーンと乾燥剤を出して




お湯を入れて15分。
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美味しかったですよ~
水で戻すと1時間待たなくてはならないのですが
やっぱりお湯で戻したほうがおいしかったです。
お赤飯も食べてみました。
いろんな味が出ていて
避難生活は過酷で
単調なものになるので
すごく助けられると思います。





懐かしい写真を
見ていました。
この写真は2011年2月11日。
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ちょうど311の1か月前。
雪が降っていたんですね。
当時住んでいた家の隣にあった
公園で遊んだもの。
いわき市というところは
あまり雪が降らない地域なので
すごく喜んでびしょ濡れになって遊びました。




避難生活に入りました。
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埼玉での仮住まい。
兄が知り合いにお願いして家賃だけで
入れたマンションに夫の両親と
私の家族、兄、姉など
みんなで一緒に生活していました。
写真は
長女が末っ子にダンボールで
レジのおもちゃを作ってくれたもの。

途中
インフルエンザになったり
胃腸炎になるものもいたり
だんだんと避難生活に疲れてきて
うちの娘たちも喧嘩が多くなり
不穏な空気がながれたときに
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バナナをカットして
チョコソースをかけたものを
出してあげたら
すごく気持ちが和んだのを思い出します。
ほんとに食べ物って大事なんです。





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ダンボールでタンスを作りました




両親たちは避難生活に疲れ
福島へ帰りました。
私たち母子は埼玉から横浜に移動して避難続行を決意。
私の友達が横浜に嫁いでいて
だいぶ助けになってくれました。
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すぐに契約したアパート。
もちろん実費です。
1年の避難生活で
貯金を使い果たしました。
写真は末っ子が
お世話になった幼稚園での
初めての遠足前日。
リュックもシートも
水筒も全部友達に譲ってもらいました。
末っ子、うれしくてうれしくて
遠足の練習をしてます。



横浜での初めてのアパートでは
下着泥棒にあったり
いやなことが続いたので
学区内のアパートにまた引っ越し。
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こちらのアパートは快適でした!
末っ子、片付けのお手伝い・・・
っていうか
散らかしてるだけ・・・



2階に住んでいたので
いつもこうしてお見送り。
うちの娘たちはいわゆる
「原発いじめ」というものには
遭わずに済みました。
それは友達のお子さんが通う学校を選んだこと。
その友達のコミュニティーだよりで
かなり守られていました。
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もし全く知らない土地で
誰一人知り合いのいない学校に
転校していたら・・・
母親の私も委縮してしまっていたかも。

本当にいろんな方に
助けられ守られた1年間だったと思います。
もし原発いじめに遭っていたら
迷わず立ち向かっていただろうと思います。
震災があって
いろんなことを経験してきた私には
家族を失う以外に怖いものは
何もなくなっていました。

立ち向かってどうにかなることではないかもしれないけど
今ニュースになっている
原発いじめ問題には
本当に憤りを感じます。
いじめた側の子どもの責任というよりも
大人やマスコミの
認識不足、伝え方が間違っているせいもあると思う。


我が家は
滋賀に引っ越してきてから
キャンピングカーを購入しました。
それは転職活動をしていた夫が
唯一励みにしていた
楽しみでもあったからです。

昨日遊びに来てくれた友達が
「家にキャンピングカーがあるのに
自慢せえへんのも偉いよな~」って
言ってくれたんです。

自慢したいどころか
私は隠していました。

なぜか
わかる方いるかな。。。
原発事故が要因で
福島から引っ越してきたというと
「補償をもらってるから
お金を持っている」みたいに
見られるのではと
人の目を気にしていたからです。

私たち家族がもらった補償金は総額で
子どもがそれぞれ40万円ずつ。
大人は8万ずつ。
もちろん
原発近くに自宅があった方たちの
補償金とはまた全然違ったものなので
それと一緒にされるのはとても辛いものです。
いただいたお金は
何かあったときのために
貯蓄に回しています。
「何かあったとき」
あの時福島にいた私たちにとっての
大きな心配事は
やはり子どもたちの体のことです。
「何かあったとき」なんて考えたくないけど
現実には
それに備えておかなければなりません。

キャンピングカーは
20年働いた会社を辞める時に
いただいた退職金の一部で購入したもので
夫が20年がんばってきたご褒美を
私はSNSに写真を載せる時も
入らないようにしたり
人に積極的に話したりはしてきませんでした。
でもそれって
人の目ばかり気にして
夫が体も心も崩壊寸前まで
がんばって転職活動してきた
努力を隠してるようなものだなって
最近思うようになりました。
だからもう隠すのもやめます。
もっともっと行ったことのない場所に
遊びに行って
家族で共有できる思い出をたくさん増やしたいです。

とりとめのない拙い文章に
お付き合いくださり
ありがとうございます。
今年はここまでにしますね。

いつもありがとう。



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